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COWRA SAKURA SHIRAZ 2013

¥3,300 外税

このウインダウリ・エステート社の桜ラベルにはニューサウスウェールズ州・カウラ地区の深い歴史と関わっています。
1944年、第二次世界大戦中カウラの地で捕虜になっていた日本兵約1000人余りが大脱走を企て200名以上もの死者を出した事件がありました。
カウラの人々は事件で命を落としてしまった日本兵を手厚く葬り、日本との友好関係を深めるために本格的な日本庭園や日本文化センターを作りました。
さらには日本人墓地から日本庭園までの5kmの間に約2000本の桜を植え、毎年桜祭り(10月頃)が行われるようになったのです。
国際理解を象徴する並木道としての桜。この桜をモチーフにしたのがウッドブロック・サクラ シラーズのラベルです。
熟したベリーにコーヒー・ビーンズやバニラの香り。味わいは煮詰めたプラムやリッチなブラック・ベリー類、リコリスのニュアンス。
よく熟した豊かなタンニンが力強さを加えている。
このシラーズは現在でも最高においしいが、今後10年間は熟成が期待できる。
このワインに使用されるブドウは収量を抑え、またその中でも選りすぐられた一部のブドウのみ使用されています。
優しく搾られた果汁は開放槽に移され、20~25℃に醗酵温度を保ち、日に少なくとも5回手作業で果汁をかきまわし、充分に果皮が果汁と交わるよう促します。
そして、2ボーメに達した果汁は圧搾されアメリカンオークの新樽に移され樽醗酵したもの。
(赤・辛口・フルボディ)

在庫切れ

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商品説明

【WINDOWRIE ESTATE】

南オーストラリアの都市シドニーより車で西へ5時間ほどの所に位置するニュー・サウス・ウェールズ州カウラ地区にあるウインダウリ・エステートはカウラ地区初のブティック・ワイナリーです。
ワイナリーは1861年に建てられた歴史的建築物である製粉所を改築しセラー、テイスティングルームとして使用されています。
ワインメーカーでオーナーのデイビッド・オデア氏は1959年にウインダウリーの土地を購入、1961年にホークスブリー大学農学部を卒業し、ハンター・ヴァレー近くの農場育ちのウィズと1964年に結婚後、2人3脚で穀物類を育て農場を切り開いてきました。
1980年代に入り、ブドウ栽培へと移行したことはオデア・ファミリーにとって大きな決断でした。
始めは上手くいかないことも多々あり、試行錯誤の繰り返しでしたが、今ではこの地域・カウラ地区初のワイナリーとして大成功をおさめ、家族全員がワイナリーの運営に携わり成長しつづけており現在、4人の兄妹がワイナリーの軸となっています。

ウインダウリはオレンジ地区からみると300mほど海抜は下がりやや温暖な気候になり、このあたりは非常にのどかで四季があり、野鳥も多く、ウインダウリの畑にはカンガルーや野うさぎが走り回っています。
広大な大地600ヘクタールに植えられている白葡萄はシャルドネ、ソーヴィニョン・ブラン、ヴェルデーリョ、セミヨン。黒葡萄はシラーズ、カベルネソーヴィニョン、メルロ、サンジョヴェーゼ、テンプラニーリョなど。
収穫されたブドウ40%ほどの優良なもののみ自社ワインとして醸造し、残りの60%は大手ワイナリーに果汁を販売しています。
大変風通しが良く葡萄は年間を通して充分な日射量を得て完熟します。
栽培はできる限り自然な形でと殺虫剤は一切使用されません。
土壌は、赤粘土ロームの上に赤土ロームという土壌から、鉄鉱石の上に茶系砂粘土ロームという土壌まで様々。
それぞれの品種は最も合った灌漑方法の土壌に植えられ、葡萄の品質、個性を大事にしたキャノピー・マネージメントが行なわれます。
また、この地域で唯一設備の整っているワイナリーであるので数社のワインも生産しています。
この辺りは昔、穀倉地帯であったためその名残を感じる建物が点在しています。
ワイナリーのセラードアとしての象徴となっている建物も1900年代前半に製粉所(MILL)として使用されていた建物を改築しています。
その当時の名残をワインブランド「THE MILL」として使用しています

このウインダウリ・エステート社の桜ラベルにはニューサウスウェールズ州・カウラ地区の深い歴史と関わっています。
1944年、第二次世界大戦中カウラの地で捕虜になっていた日本兵約1000人余りが大脱走を企て200名以上もの死者を出した事件がありました。
カウラの人々は事件で命を落としてしまった日本兵を手厚く葬り、日本との友好関係を深めるために本格的な日本庭園や日本文化センターを作りました。
さらには日本人墓地から日本庭園までの5kmの間に約2000本の桜を植え、毎年桜祭り(10月頃)が行われるようになったのです。
国際理解を象徴する並木道としての桜。この桜をモチーフにしたのがウッドブロック・サクラ シラーズのラベルです。
熟したベリーにコーヒー・ビーンズやバニラの香り。味わいは煮詰めたプラムやリッチなブラック・ベリー類、リコリスのニュアンス。
よく熟した豊かなタンニンが力強さを加えている。
このシラーズは現在でも最高においしいが、今後10年間は熟成が期待できる。
このワインに使用されるブドウは収量を抑え、またその中でも選りすぐられた一部のブドウのみ使用されています。
優しく搾られた果汁は開放槽に移され、20~25℃に醗酵温度を保ち、日に少なくとも5回手作業で果汁をかきまわし、充分に果皮が果汁と交わるよう促します。
そして、2ボーメに達した果汁は圧搾されアメリカンオークの新樽に移され樽醗酵したもの。
(赤・辛口・フルボディ)

~カウラの大脱走~
1944年8月5日、午前1時55分、シドニーの西約320キロに位置するカウラ戦争捕虜収容所で、1104人の日本人捕虜が一斉に蜂起、脱走を企てるという事件がありました。
脱走当時、捕虜たちが手にしていたものは、野球のバット、そのへんで拾った木の棒、それに食事のときに配られたフォークやナイフなど。
ほぼ丸腰に等しい、まさしく捨て身の脱走でした。
自分たちのハット(捕虜の宿舎)にみずから火を放ち、「デテクルテキハ、ミナミナコロセ」の突撃ラッパに続いて総決起した彼らの胸中には、生きてこの地上に残る意思など最初からなかったのです。「生きるためではなく、死ぬための脱走。」― それこそが、カウラ事件という世界でも前例を見ない捕虜脱走事件の底に流れるテーマだったのかも知れません。
カウラ事件を考えるとき、一種の呪文のように繰り返される言葉に「生きて虜囚の辱めを受けず」というものがあります。
これは、A級戦犯として戦後絞首刑にされた陸軍大将・東条英機が唱えた「戦陣訓」の一説で、その意味するところは、捕虜になることはこの上もない恥辱だから、敵につかまるぐらいなら自決しろという、大変厳しいものです。
戦後世代には到底理解できないムチャクチャな教えですが、戦時教育を受けた日本軍人にとって、この言葉の持つ神通力と拘束力は、ほとんどカルト宗教と言っても良いほど強固なものだったようです。
カウラ収容所の日本人捕虜たちは、三度三度の美味しい食事を与えられ、強制労働が課せられることもなく、それどころか学芸会や相撲大会、野球の試合などリクレーションの時間さえふんだんに与えられていました。
病気になれば即刻治療してもらえるという待遇を与えられていながら、捕虜という身分から脱走したい一心から、彼らは大脱走を実行したのです。
暴動の結果は、日本側の死者231人、負傷者108人、成功者ゼロ。
オーストラリア側の死者4人。
史上最大の捕虜脱走事件は、オーストラリアと日本の両国政府によって長く隠蔽され続け、事件が公式に語られるようになったのは、事件から40年も経った1984年のことでした。
そしてこの事件の裏側には、日本人のメンタリティーを考える上で最も本質的な何かが潜んでいるように思えてならないのです。

 上記の記事内容一切は、カウラ事件に造詣の深い作家・山田真美氏の了承を得た上で、氏のウェブサイト「山田真美の世界『週刊マミ自身』第142号」より引用させていただいております。

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